東京高等裁判所 平成11年(ネ)4574号 判決 2000年12月25日
控訴人兼附帯被控訴人(第一審本訴原告兼反訴被告。以下「控訴人」という。) 社会福祉法人恩賜財団済生会 関岡武次
右訴訟代理人弁護士 武藤春光
同 須田清
同 園部洋士
同 生田康介
被控訴人兼附帯控訴人(第一審本訴被告兼反訴原告。以下「被控訴人」という。) A野太郎
右訴訟代理人弁護士 八代徹也
主文
一 控訴人の控訴に基づき原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
二 控訴人と被控訴人との間に雇用契約が存在しないことを確認する。
三 被控訴人の請求(原判決で却下された訴えに係る部分を除く。)及び附帯控訴により当審で拡張された請求をいずれも棄却する。
四 被控訴人は控訴人に対し、金四〇〇七万五三八六円を支払え。
五 訴訟費用は、第一・二審を通じて被控訴人の負担とする。
六 この判決の第四項は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
(控訴について)
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 控訴人と被控訴人との間に雇用契約が存在しないことを確認する。
3 被控訴人の反訴請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は、第一・二審を通じて被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
(附帯控訴について)
一 被控訴人
1 原判決主文第三項を次のとおり変更する。
控訴人は被控訴人に対し、金二二五一万七六九〇円及び平成一〇年四月以降本判決確定の日まで毎月二五日限り金八一万四二一六円を支払え。
2 訴訟費用は、第一・二審を通じて控訴人の負担とする。
3 仮執行宣言
二 控訴人
1 本件附帯控訴を棄却する。
2 附帯控訴費用は附帯控訴人の負担とする。
(民事訴訟法二六〇条二項の申立)
一 控訴人
1 被控訴人は控訴人に対し、金四〇〇七万五三八六円を支払え。
2 仮執行宣言
二 被控訴人
控訴人の申立を却下する。
第二事案の概要
一 本件は、控訴人が、その支部である東京都済生会において、被控訴人を雇用して東京都済生会B山病院の事務局次長に任命し、その後東京都済生会参事(以下単に「参事」ということがある。)の資格を付与し、更に同病院の総務部長に任命した後、同病院に勤務する職員につき同病院就業規則が定年として定める六〇歳に被控訴人が達したので、被控訴人を定年退職扱いとしたが、被控訴人が、参事は資格ではなく控訴人の支部である東京都済生会の管理職の職位であり、同病院総務部長及び参事の定年は恩賜財団東京都済生会就業規則が管理職の定年として定める七〇歳である等と主張して定年退職したことを争うので、控訴人が雇用契約関係不存在確認を請求する本訴を提起し、これに対し、被控訴人が社会福祉法人恩賜財団済生会支部東京都済生会参事及び東京都済生会B山病院総務部長としての雇用契約上の地位にあることの確認及び未払賃金等の支払を請求する反訴を提起した事案である。
原判決は、控訴人の本訴は確認の利益を欠くとしてこれを却下し、また、被控訴人の反訴のうち将来の賃金の支払を求める部分を却下し、その余の賃金等の支払請求及び地位確認請求を認容した。控訴人は、原判決を不服として、本件控訴を提起し、かつ、原判決の仮執行宣言に基づいて控訴人が被控訴人に支払った金員について民事訴訟法二六〇条二項に基づきその返還を求めた。これに対し、被控訴人は、附帯控訴を提起して請求を拡張し、原判決後に支給日が到来した一時金(賞与)の支払を求めた。なお、被控訴人の反訴のうち原判決が却下した部分については、被控訴人は不服を申し立てていないので、当審における審判の対象にはなっていない。
二 争いのない事実等、争点、当事者の主張は、次のとおり当審における当事者の主張を追加するほかは、原判決「事実及び理由」欄の「第二 事案の概要」の一から「第三 当事者の主張」まで(原判決五頁末行の冒頭から七九頁九行目の末尾まで)に記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決六頁八行目の「事務局事務次長」を「事務局次長」と改め、七頁四行目の「甲第四号証」の次に「。以下「本件通告書」という。」を付加し、同八頁七行目の「あれば、」を「あるならば、」と、同二九頁末行の「恩賜財団」から「同三〇頁一行目の末尾までを「恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程は、昭和五〇年九月一日に全面改訂され、次のとおりとなった(甲第七号証)。」とそれぞれ改め、同四〇頁七行目、八行目、九行目、九行目から一〇行目にかけて、同四一頁一行目及び同四三頁四行目の各「B山病院就業規則」の前に「東京都済生会」をそれぞれ付加し、同五二頁四行目の「収支」を「収益」と改め、同七七頁三行目の「本訴請求事件の」の前に「同3については、」を付加する。)。
1 控訴人の本訴及び被控訴人の反訴の適法性について
(一) 控訴人
控訴人の本訴請求(消極的確認の訴え)は、被控訴人の反訴請求のうちの賃金等の支払請求(給付の訴え)とは訴訟物が異なるから、右反訴が提起されたからといって本来適法であった右本訴が不適法になる筋合いではない。また、控訴人の本訴請求は、控訴人が被控訴人に対する本件雇用契約に基づく賃金の支払義務のないことのほか、被控訴人が本件雇用契約の存続することを前提とする法的地位にないことの確認を求めるものであるから、被控訴人の反訴のうち被控訴人が本件雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認請求は本訴の訴訟物と同一のものである。このような場合、先に提起された本訴は適法であるが、後に提起された反訴のうち右確認請求に係る部分は二重起訴に当たり不適法である。
(二) 被控訴人
控訴人の主張は争う。
2 参事の定年について
(一) 控訴人
仮に被控訴人が東京都済生会事務局兼務の職員であるとしても、参事は管理職に該当しない。すなわち、恩賜財団東京都済生会就業規則五条二項は、「院長、副院長、所長、医長、科長、病院事務長、婦長および部長課長を管理職とする。」と規定して管理職に該当する職種を列挙しているが、この中に参事は含まれていない。また、実際上も、管理職とは指揮監督すべき部下を持つ職員を指し(労働基準法四一条二号、労働組合法二条一号参照)、部下のいない職員は管理職ではないところ、昭和五〇年に恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程が改正された後は、参事に指揮監督されるべき職員は一名も任命されず、参事は事務局業務の取りまとめを行っていただけであるから、参事は管理職に該当しない。さらに、参事がB山病院本務で東京都済生会事務局兼務の唯一の職員で、かつ同事務局の管理職であるとすれば、B山病院の全職員約一一〇〇名のうち参事一名だけが定年七〇歳であるという極めて不合理な事態となるが、そのようなことは考えがたい。
したがって、参事の定年は恩賜財団東京都済生会就業規則一五条二号により六〇歳である。
なお、被控訴人は六〇歳になると同時に当然に退職となるのであり、控訴人から被控訴人に対する何らかの意思表示は不要であるが、労働契約が終了したことを確認するために、控訴人は被控訴人に対し参事の職を解く旨の記載のある本件通告書を交付した。
(二) 被控訴人
(1) 控訴人は、原審においては参事の定年が七〇歳であることを争っていなかったのであるから、当審における参事の定年は六〇歳であるとの主張は、時機に後れた攻撃防御方法であるので、これを却下すべきである。
(2) 昭和五〇年九月一日に全面改正された恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程三条三項は「事務局職員は参事の指揮監督のもとに職務を行う。」と規定しているところ、事務局職員とはB山病院事務部門勤務者で東京都済生会事務局業務兼任者を指すことは明らかであり、右職員を指揮監督する参事は管理職である。このように参事が管理職として新たに定められたのは昭和五〇年であり、恩賜財団東京都済生会就業規則の最終改定は昭和三九年であるから、右就業規則五条二項に参事が規定されることは時間的にあり得ず、単に右就業規則の文言の追加(改定)が遅れているに過ぎない。このことは、参事だけではなく昭和三九年以降に設置された職制で管理職とされているB山病院の事務局次長、センター長、室長、技師長、管理婦長やB山病院以外の施設の学校長、副学校長、教務科長、事務長などについても同様であり、これらも右就業規則五条二項には規定されていないが、控訴人はこれらの職制にある人を管理職として扱っている。また、控訴人が参事を管理職として扱い、その定年は六〇歳ではないと認識していたことは、控訴人が被控訴人に対し、本件通告書で平成九年二月一一日付けをもって参事を解職し、B山病院総務部長については定年退職とする旨を通告していること、東京都済生会業務担当理事兼B山病院院長が被控訴人から管理職誓約書を徴していることから明らかである。
なお、控訴人は、指揮監督すべき職員がいないから参事は管理職ではないと主張するが、部下の有無と管理職であるか否かとは無関係である(少なくとも決定要素とはならない)ことは労働基準法も労働組合法も当然の前提としている。
(3) 前項のとおり、控訴人は被控訴人を管理職として認め、それを前提に被控訴人の行動を制約していたにもかかわらず、本訴において控訴人が被控訴人は管理職ではないと主張することは禁反言の法理及び信義則に反する。
3 参事の解職について
(一) 控訴人
仮に、被控訴人が黙示的に東京都済生会事務局兼務の職員として参事の発令を受けており、また、参事は管理職に該当し定年が七〇歳であったとしても、本件通告書の交付により被控訴人が保有していた参事という地位は喪失させられたから、被控訴人は参事ではなくなっている。
(二) 被控訴人
東京都済生会規則によれば、参事の任免権者は東京都済生会会長であるところ、本件通告書は東京都済生会業務担当理事、B山病院院長名義でされたから、参事の職を解く旨の通告は効力を生じない。また、参事の職を解くことは役職の剥奪であり、降格であるところ、被控訴人には降格されるような行為はないから、控訴人のした解職は効力を有しない。
4 参事手当について
(一) 控訴人
仮に、被控訴人が黙示的に東京都済生会事務局兼務の職員として参事の発令を受けており、また、参事は管理職に該当し定年が七〇歳であったとしても、B山病院総務部長の定年は六〇歳であるから、被控訴人が六〇歳に達した以後は参事としての業務のみを行い、賃金も参事としての労働の対償である参事手当の月額七万五〇〇〇円となる。
(二) 被控訴人
仮に、B山病院総務部長の定年が六〇歳であっても、被控訴人と控訴人との間の本件雇用契約は被控訴人が六〇歳に達した以降も終了していないのであるから、本件雇用契約上の本給の賃金請求権は失われず、したがって、賃金が参事手当だけとなることはない。
仮に、賃金が参事手当だけになるとしても、控訴人においては参事専任の場合は兼任手当額の四倍とされていたから、兼任の場合の月額七万五〇〇〇円の四倍の月額三〇万円になる。
5 反訴請求拡張についての被控訴人の主張
被控訴人は請求を拡張し、次のとおり平成一〇年度及び一一年度の一時金(賞与)の支払を求める。なお、支給基準は原判決七四頁二行目の冒頭から七行目の末尾までに記載のとおりであるからこれを引用する。
(一) 平成一〇年度夏期一時金(賞与)、支給日平成一〇年六月三〇日
一般職員の支給基準は本給二箇月分に一万二〇〇〇円を加えた額であるので、被控訴人が支給を受けるべき一時金(賞与)は次式のとおり一五六万八一〇〇円となる。
721,800×2+12,000+112,500=1,568,100
(二) 平成一〇年度冬期一時金(賞与)、支給日平成一〇年一二月一日
一般職員の支給基準は三・五箇月分であるので、被控訴人が支給を受けるべき一時金(賞与)は次式のとおり二二七万七九〇〇円となる。
721,800×3+112,500=2,277,900
(三) 平成一一年度夏期一時金(賞与)、支給日平成一一年六月三〇日
一般職員の支給基準は二箇月分に三〇〇〇円を加えた額であるので、被控訴人が支給を受けるべき一時金(賞与)は次式のとおり一五五万九一〇〇円となる。
721,800×2+3,000+112,500=1,559,100
(四) 平成一一年度冬期一時金(賞与)、支給日平成一一年一二月一日
一般職員の支給基準は三・五箇月分であるので、被控訴人が支給を受けるべき一時金(賞与)は次式のとおり二二七万七九〇〇円となる。
721,800×3+112,500=2,277,900
6 民事訴訟法二六〇条二項の申立について
(一) 控訴人
(1) 控訴人は、原判決の仮執行宣言に基づき被控訴人に対し四〇〇七万五三八六円を支払ったので、原判決を変更して被控訴人の反訴請求を却下ないし棄却する場合には右金員の返還を求める。
(2) 平成九年二月一一日以降控訴人と被控訴人との間には雇用契約は存在しないから、被控訴人が控訴人に対して賃金請求権を有することはない。また、被控訴人は、平成九年二月一一日以降控訴人の業務を何も処理していないから、被控訴人は控訴人に対して不当利得返還請求権等何らの債権も有しない。したがって、被控訴人の相殺の主張は失当である。
(二) 被控訴人
(1) 原判決の仮執行宣言に基づき被控訴人が控訴人から四〇〇七万五三八六円の支払を受けたことは認める。
(2) 被控訴人は、平成九年二月一一日以降も東京都済生会及びB山病院において従前と同じ労務の提供をしているから、その対価として控訴人が返還を求める金額と同額の賃金請求権を有する。そこで、被控訴人は右賃金請求権をもって控訴人の返還請求権と対当額で相殺する。
第三当裁判所の判断
一 控訴人、東京都済生会及びB山病院の関係について
この点については、原判決認定のとおり(原判決「事実及び理由」欄の「第四 当裁判所の判断」の一[七九頁末行の冒頭から八三頁七行目の末尾まで]記載のとおり)であるからこれを引用する(ただし、八三頁四行目の「B山病院」の前に「右に述べたところによれば、」を付加し、六行目の「第四項、」を削除する。)。
二 控訴人の本訴及び被控訴人の反訴の適法性について
控訴人は、本訴において、控訴人と被控訴人との間に雇用契約が存在しないことの確認を請求しており、この請求は、控訴人が被控訴人に対する本件雇用契約に基づく賃金等の支払義務のないことのほか、被控訴人が本件雇用契約の存続することを前提とする法的地位にないことの確認を求めるものである。一方、被控訴人は、反訴において、本件雇用契約に基づく賃金及び一時金(賞与)の支払請求並びに被控訴人が本件雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認請求(社会福祉法人恩賜財団済生会支部東京都済生会参事及び東京都済生会B山病院総務部長の地位にあることの確認請求は、本件雇用契約上の権利を有する地位にあることに加えて、職務上の地位の確認を求める請求であると解するのが相当である。)をしている。そうすると、本訴請求と反訴請求の一部は重なり合い、その重なり合う限度で反訴請求は二重起訴になり不適法となる(民事訴訟法一四二条)筋合いであるが、反訴のうちの地位確認請求は、右に述べたとおり、本訴の雇用契約関係不存在確認請求にすべて包含されるわけではないし、賃金及び一時金の支払請求も、執行力の付与を求める点で本訴の雇用関係不存在確認請求に包含し尽くされるものではない。したがって、本訴及び反訴(原判決で不適法として却下された部分を除く。)とも適法であると解するのが相当である。
三 本件雇用契約に基づく被控訴人の職位について(争点1(一)、反訴請求事件の請求の原因1(二))
1 恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程の制定、改正の経過について
(一) 制定当初の恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程
昭和三一年一〇月二〇日に制定、施行された恩賜財団東京都済生会規則《証拠省略》及び昭和三三年一二月二〇日に制定、施行された恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程(「東京都済生会事務処理機構の改善について(伺)」添付別紙)に、控訴人が定めた社会福祉法人恩賜財団済生会支部都道府県済生会規則準則の前記(引用に係る原判決第二、一、6)の規定内容をも併せて考えると、東京都済生会は、右規則及び規程により、総務部、経理部、会計部の三部から成る事務局と病院等の施設とを別の組織として規定し、それぞれに職務権限を有し、職務に従事する職員を置き、その任命権者を定めており、これを事務局について見ると、参事、主事及び主事補を置き、会長がこれを任免し、参事は上長の命を承けて事務を掌理し、主事及び主事補は上長の命を承けて事務に従事し、事務局に局長、部に部長、課に課長を置き、局長、部長は参事又は主事をもってこれに補し、課長は主事をもってこれに充てることを規定していたものと認めることができる。
(二) 昭和五〇年九月一日の全面改正
前記(引用に係る原判決第二、一、8)のとおり、恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程は昭和五〇年九月一日に全面的に改正され、東京都済生会の事務局をB山病院内に置き、事務局には必要な職員を置くことができ、その任免は業務担当理事が行い、事務局職員は参事の指揮監督のもとに職務を行うこととした一方で、B山病院並びにC川病院及び三診療所に関しては、業務担当理事名をもって行う業務を除き、それぞれの施設を担当する常務理事が、業務担当理事の委任を受けて処理することを規定するに至った。そして、この改正で従前の事務局の組織(部・課)及び構成(局長、部長、課長)に関する規定は削除された。
この改正の結果、東京都済生会事務局の分掌業務は、公印(会印、会長印、業務担当理事印)の管守、役員の選任、退任及び待遇に関する手続、理事会及び評議員会の招集事務及び議事録の作成、文書の収受・発送及び保存、諸規程の整理並びに保管、事業計画及び企画、監督官庁に対する諸手続、関係諸団体との連絡、資産の管理、運用、資金の借入及び償還、予算及び決算、事務局運営費に関する事務処理等となり、事業計画及び企画、監督官庁に対する諸手続、関係諸団体との連絡、資産の管理、運用、資金の借入及び償還、予算及び決算、事務局運営費に関する事務処理といった事項は、広範なものに見えるが、B山病院並びにC川病院及び三診療所に関するものはそれぞれの施設を担当する常務理事が業務担当理事の権限の委任を受けて処理するので、東京都済生会事務局が取り扱うのは右各施設に関するもの以外のものということになり、全体の取りまとめ等、各施設ごとの事務処理になじまないものに限られることとなった。
(三) 東京都済生会事務局の業務の実情
このような恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程の改正には次のような事情があった。
B山病院は、大正四年、北里柴三郎を初代院長として開設された済生会A田病院に沿源を有し、恩賜財団済生会本部直営の病院であり、その中核的な医療機関として大きな役割を果たしてきており、東京都済生会の管理する施設の中で群を抜いて大きな存在であり、その歴史的経緯から、東京都済生会事務局からは独立した存在としての色彩が強く、B山病院院長がその運営の実権を握っていた。東京都済生会事務局は、恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程(「東京都済生会事務処理機構の改善について(伺)」添付別紙)の規定するとおり、多くの部局を設け、常任役員と多数の事務局職員をもって業務を執行していたが、右のような事情から、当時の東京都済生会事務局業務は、済生会支部東京都済生会としての本部及び外部との連絡、折衝等の法人業務及び管下全施設の総合的な統括業務と、東京都済生会C川病院、東京都済生会渋谷診療所、東京都済生会宮城診療所及び東京都済生会葛飾診療所の運営業務とに大別され、後者が事務量の大半を占めていたのであり、また、B山病院の運営業務は実際には含まれず、この運営業務はB山病院院長とB山病院事務局が行っていた。
控訴人は、肩書地所在のD川ビルに移転する以前に独立の建物を有し、事務所を置いていた。東京都済生会は、当時、その一角を借りて、業務担当理事の下に事務局が前記のような業務を遂行していたが、東京都済生会C川病院は次第に独自性を強め、東京都済生会C川病院院長の下にC川病院事務部が運営の実権を握るようになってきた。そのため、東京都済生会事務局の業務は、済生会支部東京都済生会としての本部及び外部との連絡、折衝等の法人業務及び管下全施設の総合的な統括業務だけに縮小しつつあり、職員の人数も減少してきていた。
その後、控訴人が肩書地所在のD川ビルに移転することとなった際、前記建物の一角にあった東京都済生会の事務局は、当時の役員及び職員合計六名のうち、業務担当理事及び職員一名が東京都済生会B山病院内に設置された「業務担当理事室」に、その他の職員四名が東京都済生会C川病院内に仮設置された「事務局」とに分かれて移転した。
昭和四九年一月三一日をもって河原田業務担当理事(在職一一年余)が退職し、その後任の業務担当理事に堀内光B山病院院長が就任した。常務理事は、堀内光B山病院院長と石田C川病院院長の二名であり、それぞれB山病院、C川病院の運営を担当することとなった。また、昭和五〇年三月三一日をもって高橋参事(在職一六年)が退職し、参事の後任に黒田B山病院事務局長が就任した。このように、長年にわたって東京都済生会事務局運営の中核を担ってきた業務担当理事及び参事が相次いで退職し、B山病院院長及びB山病院事務局長が兼務することとなったが、従前から東京都済生会事務局業務の大部分を占めていたC川病院、東京都済生会渋谷診療所、東京都済生会宮城診療所及び東京都済生会葛飾診療所の運営業務は、石田常務理事(C川病院院長)と篠原東京都済生会事務局総務部長(C川病院事務長)が担当していたし、控訴人の本部からの通達その他の連絡も実際にはC川病院内にされていた。そこで、東京都済生会事務局の業務処理を一元化するため、前記(二)のとおり、昭和五〇年九月一日恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程が改正され、東京都済生会の事務局はすべてB山病院内に置かれることとなり(恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程二条)、B山病院並びにC川病院外三診療所に関するものは、前記(二)で述べたように、それぞれの施設を担当する常務理事が業務担当理事の権限の委任を受けて処理するので、東京都済生会事務局が取り扱うのは右各施設に関するもの以外のものということになり、全体の取りまとめ等、各施設ごとの事務処理になじまないものに限られることとなった。このような事務局分掌業務の処理は、B山病院の事務部門の職員が、東京都済生会事務局職員の兼務発令を受けることなく行い、東京都済生会事務局には参事だけが置かれて事務局業務の取りまとめを行うこととなった。なお、右の恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程の改正以降平成九年二月一一日までに参事に任命されたのは、黒田幸男(B山病院事務局長―昭和五〇年九月一日から昭和五七年一二月三一日まで)、桜井健二郎(B山病院経理課長―昭和五八年一月一日から昭和五九年六月三〇日まで)、植垣惣次(B山病院事務局長―昭和五九年七月一日から平成元年七月三一日まで)、矢野弘(B山病院事務局次長、後に事務局長―平成元年八月一日から平成四年三月三一日まで)及び被控訴人であって、いずれもB山病院の職員が参事を兼務し、また、参事を兼務した場合には参事手当が支給された。
(四) 東京都済生会事務局組織分掌規程のその後の改正
東京都済生会事務局組織分掌規程は、平成一〇年一月一日に一部改定され、次のとおりとなった。すなわち、東京都済生会事務局に参事、必要に応じ副参事を置き、その任免は会長が行い、参事、副参事は、常務理事の指揮監督を受け、事務局業務のとりまとめを行い、事務局分掌業務の処理は、B山病院及びC川病院の事務部門の職員が行い、両施設の分掌規程において定めることとし、事務局分掌業務は、庶務事項が、①理事会、評議員会、その他会議に関すること、②役員及び事務局職員の人事、給与並びに福利厚生に関すること、③公印の管守並びに文書の収受、発送、保存に関すること、④諸規則の制定、改廃に関すること、⑤契約、登記に関すること、⑥表彰に関すること、⑦監督官庁等に対する諸手続に関すること、⑧関係諸団体との連絡調整に関すること、⑨各施設との連絡調整に関すること等であり、財務事項が、①事業計画、事業報告に関すること、②予算及び決算に関すること、③資産の管理及び運用に関すること、④施設における資金の借入れ及び償還に伴う諸手続に関すること、⑤事務局運営費にかかる事務処理に関すること等であった。
2 被控訴人が参事として行っていた業務
被控訴人は、参事として、①東京都済生会の各年度の事業計画・予算案、事業実績・決算案等の各案件に関する役員会(理事会・評議員会)開催準備と役員会での議案の説明、②常務理事会の開催準備と議事録の作成・配付、③東京都済生会の各施設の人事・施設整備等諸問題の解決、施設運営受託に関する企画、対外折衝等、④東京都済生会の各施設の新設・廃止・変更に伴う定款変更申請、⑤控訴人の本部方針及び指示事項の関係施設・部署への周知連絡、本部への連絡・報告並びに都又は区による監査の立会い等の業務を自ら遂行していた。
なお、平成九年二月当時被控訴人に対し支給されていた参事手当は給与総額の一割弱の額であったことからも明らかなとおり、被控訴人の東京都済生会における業務量の大半はB山病院総務部長としての職務が占めており、右参事としての業務の比重は極めて低かった。
3 参事の後任に対する引継ぎの指示
B山病院院長は、被控訴人が定年退職したものとして扱い、その後任として、藤原徹に対し、平成九年三月三一日付けで事務長兼総務部長事務取扱を命じ、また、東京都済生会は、被控訴人が定年退職したものとして扱い、その後任として、藤原徹に対し、同年四月一日付けで参事に任命した。
これに先立ち、伊賀六一業務担当理事(B山病院院長、平成九年三月三一日付けで業務担当理事を退任し、B山病院院長を退職した。)は、被控訴人の参事の職務内容を増田淳管理部長が引継ぎをすることを決め、増田淳管理部長は、これを受けて平成九年一月二九日、被控訴人に対し、引継ぎ事項を示し、引継ぎを書類で行うよう求めた。
4 被控訴人の職位
以上の事実によれば、参事は、昭和三三年一二月二〇日に制定、施行された恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程では、事務局職員の資格としての意義を有し、事務局長、部長等が職位であったと考えられるのであるが、その後、前記のような事務処理の実情を踏まえて恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程が昭和五〇年九月一日に改正され、従前の事務局の組織及び構成は廃止され、参事が唯一の事務局職員として、しかもただ一人だけが任命されることが想定され、実際にも一人だけが任命されていた。そして、現に参事としての業務が存在し、これを処理していたのであるから、従前と同じ参事という用語ではあるが、この改正によって資格を意味する語から一定の職務権限と職責を有する職位を意味する語に転化するに至ったものと解するのが相当である。
そして、東京都済生会は、平成三年一二月四日、被控訴人を雇用し、その施設であるB山病院の事務局次長に任命し、次いで平成四年四月一日参事に、平成七年四月一〇日同病院の総務部長にそれぞれ任命したから(引用に係る原判決第二、一、1)、被控訴人は、本件雇用契約に基づき、B山病院の事務局次長、次いで総務部長の職位を有するとともに、平成四年四月一日以降東京都済生会の参事の職位をも併せ有することとなったと解するのが相当である。
甲第九号証の鑑定意見は、右に述べたところに照らし採用することができない。
なお、前記1、(三)で述べたとおり、東京都済生会事務局の業務についてはB山病院の事務部門の職員が東京都済生会事務局職員の兼務発令を受けることなくその処理に当たっていたところ、B山病院の職員がいかなる法的根拠に基づいて東京都済生会事務局の業務を行っていたのかは必ずしも明らかではないが、先に判示したとおり、参事は参事として東京都済生会事務局の業務を担当処理する権限と職責を有し、現にこれを処理していたのであるから、B山病院の職員が東京都済生会事務局の業務を行っていた法的根拠如何は参事が職位であるという右認定に影響を及ぼすものではない。
四 本件雇用契約を規律する就業規則について(争点1(二))
1 同一企業の複数の事業場に異なる就業規則が制定されており、その複数の事業場を兼務する労働者についての就業規則の適用関係
(一) 就業規則は、企業経営の必要上労働条件を統一的、かつ、画一的に決定するものであるが、企業における個々の事業場を単位として作成、届出がされるものであり(労働基準法八九条、九〇条、九二条参照。なお、労働組合法一七条参照)、それが合理的な労働条件を定めているものである限り法的規範としての性質を認められる(最高裁判所昭和四三年一二月二五日大法廷判決民集二二巻一三号三四五九頁)。したがって、同一企業であっても、事業場が異なるのであればそれぞれ異なる内容の就業規則を制定することは可能であるが、それぞれ合理的な労働条件を定めているものであることを要するし、就業規則の規定内容が異なることが取りも直さず労働基準法三条、四条に違反することとなるのであれば、その部分が無効となるというべきである。なお、退職に関する事項が就業規則の必要的記載事項とされている(労働基準法八九条三号)ことからすると、各事業場の就業規則で異なる定年年齢を定めること自体は許されると解するのが相当である。
(二) 同一企業の複数の事業場にそれぞれ異なる内容の就業規則が制定されている場合に、その複数の事業場の職務を兼務している労働者がいるときは、各就業規則の中に適用関係を調整する規定が設けられていればそれに拠ることになるが、調整規定が設けられていない場合には、ある事業場の職務に関しては当該事業場の就業規則が適用になるのが原則であると解するのが相当である。ただ、右原則を適用した結果不合理な事態が生じるような場合、あるいは、複数の事業場の職務が明確に区別できないような場合等には、各就業規則の合理的、調和的解釈により、その労働者に適用すべき規定内容を整理、統合して決定すべきである。
2 恩賜財団東京都済生会就業規則及びB山病院旧就業規則ないしB山病院就業規則の適用関係
(一) 前記三、1、(三)のとおり、B山病院が東京都済生会の中核的な医療機関として大きな役割を果たしてきた歴史的経緯、独立した事業体に等しいような実質等を有し、労働基準法、労働組合法上の事業場に当たることから、東京都済生会が昭和二九年に恩賜財団東京都済生会就業規則を制定するに当たっても、B山病院に勤務する職員については、恩賜財団東京都済生会就業規則の適用対象から除外することとし、四二条において、「本会B山病院の職員は、同院の規模を考慮して別に定められた規則により就業し、この規則の適用を受けない。」と規定した。この規定を受けて、B山病院旧就業規則が制定されたのであるが、右に述べた同条の趣旨に照らすと、同条にいう「B山病院の職員」とは、医療機関等の機能を果たす施設としてのB山病院の業務を統括し、又はこれに従事する職員を意味するものと解するのが相当であり、この意味でB山病院に勤務する職員にはB山病院就業規則が適用になる。
昭和五〇年九月一日東京都済生会事務局組織分掌規程が改正され、東京都済生会の事務局はすべてB山病院内に置かれることとなったが、この際には恩賜財団東京都済生会就業規則もB山病院旧就業規則も改正されず、従前の規定のままであった。なお、前記三、1のとおり、東京都済生会事務局の組織はB山病院とは全く別であり、行うべき業務もB山病院の業務とは全く異なるのであるから、東京都済生会事務局はB山病院とは別の事業場であるというべきであり、東京都済生会事務局に勤務する労働者には恩賜財団東京都済生会就業規則が適用になる。
ところで、B山病院院長はB山病院旧就業規則の適用を受けるわけではないと解されていたから、重ねて業務担当理事に任命されても、格別問題は生じなかったが、院長以外のB山病院の職員はB山病院旧就業規則の適用を受けるから、重ねて参事に任命された場合には、恩賜財団東京都済生会就業規則とB山病院旧就業規則をどのように適用するかという問題が生じたはずであるが、格別調整規定を設けるなどの手当がされたわけではなく、また、B山病院就業規則に定年条項が規定されたのは平成五年であるが、その際にも格別調整規定の手当はされなかった。
(二) このように、東京都済生会事務局勤務の労働者には恩賜財団東京都済生会就業規則が適用になり、B山病院勤務の労働者にはB山病院旧就業規則ないしB山病院就業規則が適用になるのであるが、一人の労働者が東京都済生会事務局の職務とB山病院の職務を兼務している場合には、右各就業規則には調整規定が置かれていないから、原則として、東京都済生会事務局の職務に関しては恩賜財団東京都済生会就業規則が、B山病院の職務に関してはB山病院就業規則が適用になるというべきである。
3 本件雇用契約を規律する就業規則について
(一) 平成三年一二月四日に締結された本件雇用契約は、B山病院の事務局次長に任命することを内容としていたのであり、被控訴人は、本件雇用契約に基づいてB山病院事務局次長、次いでB山病院総務部長の職位に就きその職務を遂行していたのであるから、これらの職位、職務に関する限り恩賜財団東京都済生会就業規則四二条によりその適用対象から除外され、B山病院旧就業規則ないしB山病院就業規則の適用を受けるものであったというべきである。
次に、東京都済生会が平成四年四月一日に被控訴人を参事に任命したことにより、被控訴人は東京都済生会事務局の参事としての職位をも有することとなったのであり、恩賜財団東京都済生会就業規則の規定の適用をも受けることとなったものと解するのが相当である。
(二) 本件雇用契約締結当時、恩賜財団東京都済生会就業規則には、管理職につき七〇歳、それ以外の職員につき六〇歳という定年条項があり、B山病院旧就業規則には、解雇事由として「老令により爾後業務に耐えられないと認めたとき」を掲げていただけで、定年に関する規定はなかったから、定年に関する両者の規定は異なっていた。ただ、B山病院旧就業規則は、右の解雇事由を掲げていたことからも明らかなとおり、定年に関して規定していなかったからといって、B山病院に勤務する職員について終身雇用を保障する趣旨であったわけではなく、むしろ、B山病院に勤務する職員については済生会B山病院従業員組合との間で昭和四四年五月一六日にB山病院の常勤職員の定年を満六〇歳と定める労働協約が締結され、昭和四五年五月一六日から施行されていた(その詳細は後記五、1、(一)のとおりである。)のであるから、同年一〇月一六日に改正、施行されたB山病院旧就業規則は、右労働協約による定年制の規律に服することを当然のこととしつつ(労働基準法九二条、労働組合法一六条参照)、右労働協約の規範的効力及び労働組合法一七条所定の要件を満たすとすればその一般的拘束力による定年制の規律に反しない限りにおいて、個別の雇用契約によって定年が合意され、あるいは定年制を内容とする労使慣行が形成されることを許容する趣旨であったと解するのが相当である(なお、就業規則に優先する効力を有する労働協約によって定年制が導入されるのは当然のことである。)。そして、被控訴人が六〇歳に達した平成九年二月一一日の時点では、B山病院就業規則が六〇歳(管理職を含めるか否かにつき争いがあるが、B山病院就業規則三〇条の文言に照らし、管理職も含まれるものと解するのが相当である。)の定年条項を規定するに至っていた。
したがって、被控訴人は、原則として、参事としては恩賜財団東京都済生会就業規則の適用を受け、七〇歳(管理職)又は六〇歳(管理職以外の職員)で定年となり、B山病院総務部長としてはB山病院就業規則の定年条項が被控訴人にも適用されるとすると六〇歳で定年となる。
(三) そこで、参事の定年年齢について検討する(なお、被控訴人は、控訴人が参事は管理職ではなく、六〇歳定年であると主張することについて、時機に後れて提出された攻撃防御方法であるとして、その却下を求めているが、控訴人は、原審においても、主張に変遷はあるものの、最終的には参事が管理職として七〇歳定年であるとの明文の根拠はない旨を主張しており、その趣旨は当審における右主張と異ならないと解することができるから、被控訴人の右申立は理由がない。)。
前記(引用に係る原判決第二、一、9)のとおり、恩賜財団東京都済生会就業規則五条二項は「院長、副院長、所長、医長、科長、病院事務長、婦長及び部長課長を管理職とする。」と定め、一五条は「左の区分により該当年齢に達したものは停年退職とする。一号 医員、管理職にある者は七十年 二号 前項以外の職にある者は六十年」と定めているから、参事は右就業規則上管理職に当たるということはできず、したがって、六〇歳が定年年齢となることは文言上明らかである。
この点について、被控訴人は、恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程が改正されて参事が管理職として新たに定められたのは昭和五〇年であり、恩賜財団東京都済生会就業規則が最終改定されたのは昭和三九年であるから、右就業規則五条二項に参事が規定されることは時間的にあり得ず、単に右就業規則の文言の追加(改定)がされていないだけであると主張する。しかしながら、右就業規則は、管理職とする者の範囲を明記し、その者の定年を七〇歳としているのであるから、仮に参事がいわゆる管理職の実質を有する職位であるとしても、そのことが右就業規則の規定に反映されていない以上、右就業規則の適用に関する限り、参事は管理職に当たり、定年が七〇歳となると解することはできない(なお、付言するに、右は参事が恩賜財団東京都済生会就業規則上は管理職として扱われないことを意味するにとどまり、参事が、例えば労働基準法四一条二号所定の者に当たるか否かとは全く別の問題である。言い換えると、恩賜財団東京都済生会就業規則で管理職とされている者が必ずしも労働基準法四一条二号所定の者に該当しない場合もあり得るし、逆に、東京都済生会は、就業規則上、労働基準法四一条二号に該当する者すべてを管理職として同一の定年年齢を定めなければならないわけではないというにとどまる。なお、実質的に考えても、前記三、2で判示した被控訴人が参事として行っていた業務の中には管理職的な業務が含まれていたことは否めないが、前記三、4のとおり、恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程が昭和五〇年九月一日に改正されて以降は、参事が東京都済生会事務局の唯一の職員であり、しかも、前記三、1、(三)のとおり、いずれもB山病院の職員が兼務していた[しかも、右事務局業務それ自体が従前より大幅に縮小していたこともあって、兼務の事務量は本務のそれに比して格段に少なかった。]という参事の特殊性を考えると、参事が恩賜財団東京都済生会就業規則上の管理職に当たると解釈することはできないし、また、参事の定年年齢を他の管理職と異なることとしても不合理であるということはできない。)。
また、被控訴人は、控訴人は参事を管理職として扱い、その定年は六〇歳ではないと認識していた旨主張する。そして、前記(引用に係る原判決第二、一、2及び3)のとおり、被控訴人は平成九年二月一一日に満六〇歳に達したところ、同年二月六日付けの本件通告書には、「貴殿は、来る平成九年二月一一日付をもって、1恩賜財団東京都済生会規則一九条但し書き及び恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程第3条・第5条により、東京都済生会支部の参事の職を解きます。2東京都済生会B山病院就業規則第28条・第30条により定年退職とします。」との記載があり、また、控訴人は被控訴人に対し、「貴殿を、平成九年二月一一日付で当会の参事の職を免じます」との記載のある同年三月二六日付の辞令書を交付している。さらに、被控訴人は、平成七年四月二〇日付けの管理職誓約書に署名をし、B山病院院長に提出している。しかし、前記三、4のとおり、恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程が昭和五〇年に全面改正されるまでは、参事は東京都済生会事務局職員の資格であったのであるから、参事の定年を問題にする必要はなかったのであり、右規程の改正により、法律的には参事が職位を示す語に転化されたと解すべきだとしても、専任の参事が任命されたことがあるわけではなく、B山病院の職員が兼務していたにすぎないこともあってか、控訴人ないし東京都済生会において参事が何歳で定年となるかが考慮された形跡も窺えない(だからこそ、恩賜財団東京都済生会就業規則の定年規定の改正が行われなかったということもできよう。)こと、仮に控訴人ないし東京都済生会が参事の定年が六〇歳であると認識していたとしても、参事としても、又B山病院総務部長としても定年退職したことにより本件雇用契約が終了したという扱いをせずに、参事の職を解く(単に兼職を解くだけのことであるから、控訴人の裁量により行うことができると解される。)ことにより、B山病院総務部長専任とし、B山病院総務部長として定年退職したことにより本件雇用契約が終了したと扱ったとしても、その効果には差違がない(《証拠省略》によると、退職金は退職時の基本給を基礎として算定されることが認められるから、右両者の扱いで退職金額には差が生じないということができる。)から、それほど重要な問題ではないとも考えられることに照らすと、本件通告書や右辞令書に参事の職を解く旨の記載があるからといって、参事が六〇歳定年ではないことを前提としていたものとまでいうことはできない(なお付言するに、本件通告書の参事の職を解くことの根拠として恩賜財団東京都済生会規則一九条但し書き、恩賜財団東京都済生会事務局組織分掌規程三条・五条を掲げていることに照らすと、本件通告書により被控訴人の参事の兼職を解く趣旨であった[ただし、その効力の点は措く。]ことは明らかである。)。また、右の管理職誓約書は、その記載自体からB山病院の管理職として作成、提出されたことが明らかであるから、右管理職誓約書の作成、提出があったことをもって控訴人ないし東京都済生会が参事を管理職として認識していたことの根拠とすることはできない。
さらに、被控訴人は、本訴において控訴人が参事は管理職ではないと主張することは禁反言の法理及び信義則に反すると主張するが、控訴人の主張は、要するに、参事には恩賜財団東京都済生会就業規則一五条一号は適用にならず、同条二号が適用されるというものであるところ、控訴人が従前から右主張と異なる取扱いをしていたことを認めるに足りる証拠はないから、被控訴人の右主張は採用できない(原審において、控訴人は、当初、参事の定年は七〇歳である旨の主張をしていたが、右主張を変更すること自体は禁反言の法理及び信義則に反するということはできない。)。
(四) 以上のとおり、東京都済生会事務局の参事の定年は六〇歳であり、また、六〇歳定年を定めるB山病院就業規則が被控訴人に適用になるとすると、被控訴人は、六〇歳で控訴人を定年退職したことになる。
五 六〇歳定年を定めるB山病院就業規則の有効性(争点2)及び六〇歳定年条項は就業規則の不利益変更に当たるか(争点3)について
1 B山病院における定年退職の取扱い
(一) 前記四、3、(二)のとおり、B山病院旧就業規則には定年に関する定めは存在しなかった。B山病院と済生会B山病院従業員組合とは、昭和四四年三月七日から定年制の実施について協議を開始し、同年五月一六日まで合計八回の労働協議会における協議を経て、同日付けで「定年規程制定に関する協定書」が作成され、B山病院院長及び右従業員組合の元執行委員長が記名押印し、右組合の現執行委員長が署名押印したことにより、定年制に関する労働協約が成立した(なお、《証拠省略》によれば、昭和五一年三月三一日付けの書面で、B山病院院長は全済生会労働組合B山病院支部執行委員長に対し、昭和三六年に締結された労働協約、昭和四八年一一月二〇日付け協定書を廃止する旨を通知したことが認められるが、右通知書の文言からして、定年制に関する労働協約は廃止の対象とされているということはできない。)。当時B山病院には右組合しか存在せず、組合員資格を有する職員の大半は右組合に加入していた。昭和四五年五月一六日から施行されたこの定年規程(以下「本件定年規程」という。)の内容の要旨は、①B山病院常勤職員の定年及び定年退職はこの規程の定めるところによる(一条)、②職員の定年年齢は男子満六〇歳、女子満五七歳とする(二条。ただし、昭和四八年一二月三一日を終期とする移行措置があり、また、昭和六一年四月には女子も六〇歳定年となった。)、③職員は定年に達した日の翌日に退職するものとする(三条)、④職員が定年に達したとき、特に必要がある場合は、定年制審査委員会の審議を経て、嘱託として勤務させることができる(四条)、⑤定年退職者には、別に定めるところにより、定年退職金及び年金を支給する(五条)、⑥定年に関する事項を審議するため、副院長、B山病院選出委員、組合選出委員をもって構成される定年制審査委員会を設ける(六条)、というものである。なお、本件定年規程五条の規定を受けて、「定年退職金及び年金支給細則」が定められ、昭和四四年五月一六日から施行された。
(二) 本件定年規程によって設けられた定年制審査委員会では、昭和四四年六月一六日以降、本件定年規程は管理職にも適用されるという理解の下に、B山病院院長の定年退職後の処遇や、歯科医長、看護科長等のいわゆる管理職の定年退職後の嘱託としての再雇用の可否について審査していた。
(三) 前記(引用に係る原判決第二、一、9)のとおり、平成五年四月一日定年制に関する規定のなかったB山病院旧就業規則は廃止され、同日六〇歳定年制を定めるB山病院就業規則が施行されたが、右就業規則の改正に当たりB山病院院長は済生会B山病院労働組合に意見を求めたが、定年制に関しては右組合から何も意見は述べられなかった。
(四) B山病院では、本件定年規程に基づき、毎年秋に、その翌年に定年退職となる者に対しその旨を予告することとしており、その事務処理のための決裁書類は人事担当課(平成八年は人材開発課)が起案し、所属長、事務局長等の押印を得た上、院長が決裁していた。被控訴人は、平成四年から右決裁の過程に関与し、平成七年までは自ら押印した上、右決裁書類を事務局長に回していた。右のような決裁過程を経て、平成四年には事務局長矢野弘、看護部婦長宮本久子、乳児院婦長田中文子等の者に対し、平成五年には脳神経外科部長忍田欽哉、放射線科科長平和夫等の者に対し、平成六年には副院長石飛幸三、形成外科部長山下眞彦、民生事務課課長藤井慶治等の者に対して翌年内に定年退職となる旨が予告されていた。人材開発課が平成八年八月七日に起案し、同日決裁された「平成8・9年度定年退職該当者及び該当者に対する周知について」と題する決裁書には、「標記の件につきまして、定年退職規程に基づき、満六〇歳に達する職員に対して次のとおり周知いたしたくご承認願います。」と記載され、平成八・九年度の定年退職該当者として乳児院婦長末永妙子、看護部病院看護部長遠藤朋子等とともに被控訴人も記載されており、右決裁書に被控訴人は当該事項担当責任者として押印した上、院長の決裁に回した(なお、乙第四六号証及び第五二号証には、被控訴人は決裁書には押印していない旨の記載があり、被控訴人は原審において同旨の供述をする。しかし、《証拠省略》によれば、右決裁書の被控訴人名の印影は被控訴人所持の印章によるものであることが認められるところ、被控訴人に無断で第三者が決裁書類に被控訴人所持の印章を用いて押印することは通常はあり得ないと考えられるから、乙第四六号証及び第五二号証の前記記載、被控訴人の前記供述は採用しない。)。
また、被控訴人は、民生事務課課長が平成七年七月二七日をもって、企画開発部室長が平成八年二月二六日をもってそれぞれ定年退職するに当たり、所属長として意見を述べている。
(五) B山病院において定年制に関する労働協約が成立して以降、昭和四四年に院長、事務長が病院改築工事等のために定年適用が延伸され、また、昭和四八年九月九日付けで副院長について定年制の特例延長(三年間)措置が、また、昭和五〇年五月二九日付けで院長について定年制の特例延長(三年間)措置が採られている。さらに、被控訴人の前任者である矢野弘は、昭和二九年三月B山病院に勤務するようになり、昭和五八年一月事務局次長に、平成三年一二月事務局長に就任したが、平成五年一一月七日六〇歳に到達したので、B山病院院長伊賀六一宛に退職願いを提出し、退職金、その三〇パーセントに当たる定年退職扱いによる割増金及び功労加算金の支給を受けたが、その後もそのまま事務局長として勤務し、その地位、身分及び賃金その他の待遇に変更はなく、平成七年三月まで事務局長の職にあった。さらにまた、平成元年四月一日から看護部長の職にあった岡本妙子は、平成五年三月三一日六二歳四月で一身上の都合により退職するまで定年退職の話はB山病院から一切なかった(乙第三一号証の一には、右に述べた以外にも五名の者が嘱託としてではなく定年後も勤務を続けていた旨の記載があるが、右の者らがB山病院を勤務場所とする常勤職員として定年年齢に達した後も雇用されていたことをいかなる資料に基づいて認定したのか明らかではないことから、右の記載は採用しない。)。しかし、このようなごく少数の例外を除けば、B山病院の職員はすべて六〇歳で定年退職し、(一)に判示した「定年退職金及び年金支給細則」に基づいて算定された退職金の支給を受けた。なお、定年退職した者の中には、嘱託として再雇用された者もいた。
(六) 被控訴人は、平成八年八月二九日ころ、B山病院院長から平成九年二月一一日付けで定年退職になる旨記載のある「定年退職について」と題する書面の交付を受け(乙第五二号証には、被控訴人は右書面を受領していない旨の記載があり、被控訴人は、原審において、同旨の供述をするが、前記(四)に判示した定年退職予定者に対する事務の流れ、甲第二五号証の記載に照らし、右記載及び供述は採用できない。)、また、平成九年二月一一日付けで退職するので社会福祉法人恩賜財団済生会退職者遺族共済規約第一六条の規定により、退職給付金の支給を請求する旨の退職給付金請求書を作成して、平成九年一月一四日に東京都済生会に提出した。なお、乙第四四号証には、東京都済生会では平成七年に六〇歳以上の職員は常勤職員、嘱託職員を問わず共済から脱退する扱いとなったため、被控訴人は右書面を作成したのであり、右書面を作成することと職員としての退職とは関係がない旨の記載があるが、右記載は甲第二九号証及び第三二号証に照らし採用しない。
2 六〇歳定年を定めるB山病院就業規則の効力
六〇歳定年を定めるB山病院就業規則が合理的な内容のものであるか否かについて検討するに、平成五年当時多くの事業場で六〇歳定年制が採られていたという公知の事実に照らすと、管理職を含め六〇歳を定年年齢とする定年退職制度を設けること自体は合理的であることが明らかである。
また、前記(引用に係る原判決第二、一、9)のとおり、恩賜財団東京都済生会就業規則は管理職の定年年齢を七〇歳、その他の職員の定年年齢を六〇歳とする定年制を定めており、また、《証拠省略》によれば、C川病院では管理職の定年年齢を六五歳とする就業規則が制定されていることが認められるので、B山病院就業規則の定める定年制は、B山病院以外の事業場に勤務する職員に適用される就業規則が定める定年制に比べて不利益であるということができる。しかし、先に判示したB山病院の沿革、東京都済生会の内部における役割、C川病院では管理職を確保する必要から管理職は六五歳定年としているが、B山病院では後任の補充が困難ではないことから、人事の停滞を防ぐために六〇歳定年制としたことを考えると、右各就業規則における定年年齢の違いをもって六〇歳定年を定めるB山病院就業規則が労働基準法三条に違反するとまでいうことはできず、また、他に右就業規則が労働基準法等の法令に反する事情も見出せない。
したがって、六〇歳定年を定めるB山病院就業規則は法的規範としての性質を持つというべきである。
3 六〇歳定年条項は就業規則の不利益変更に当たるか
B山病院旧就業規則には定年に関する規定がなかったことは、前記(引用に係る原判決第二、一、9)のとおりである。しかし、被控訴人が控訴人に雇用された平成三年一二月四日には、B山病院においては管理職を含む全職員について六〇歳定年とする労使慣行が成立していたと認めることができるから、六〇歳定年を定めるB山病院就業規則は就業規則の不利益変更には当たらないと解する。その理由は、次のとおりである。
1で判示したとおり、B山病院において六〇歳を定年とする労働協約が締結されて以降、労働協約を締結した労働組合の組合員以外の職員についても、ごく少数の例外を除いて、右組合員と同様に右労働契約の内容たる本件定年規程に基づく事務処理が行われ、定年退職し、本件定年規程を受けて制定された「定年退職金及び年金支給細則」に基づいて算定された退職金の支給を受けていたのであり、そのような事務処理が行われ定年退職することについて職員から異議が出された形跡は全くない。被控訴人自身も、B山病院旧就業規則が廃止される前から、労働組合員以外の職員についても本件定年規程が適用されるという前提の事務処理に関与していたのである(被控訴人は、原審において、右のような事務処理は管理職については勧奨退職を行うためのものであったとの趣旨の供述をするが、前記1、(四)のとおり、管理職と非管理職とで異なる事務処理がされていたわけではないから、右供述は採用しない。)。B山病院旧就業規則を廃止し、B山病院就業規則を制定する際に管理職をも対象とする六〇歳定年制について労働組合が意見を述べなかったり、B山病院就業規則に六〇歳定年の規定が設けられた以降に、右就業規則の規定に従った事務処理が特段の疑問も持たれずに行われ、被控訴人自身もそのような事務処理に関与していたのも、被控訴人を含めてすべての職員が、右就業規則の規定の効力に疑問を持っていなかったからに他ならないと考えられる。確かに、ごく少数とはいえ、使用者側が定年延長の手続(これ自体法的根拠のあるものではない。)を経る等して、六〇歳を過ぎても常勤職員として勤務していた者があったことは間違いなく、そのような法的根拠のない恣意的ともいえる運用をすることは遺憾であるといわざるを得ないが、少なくとも定年延長の手続が行われたということは、六〇歳定年制が前提となっていたということができる。したがって、B山病院では管理職については、事実上、昭和四五年ころから六〇歳定年制が行われており、このことについて労働者側から異議も出されず、使用者側も六〇歳定年制を承認し、これに従った事務処理をしてきたのであるから、六〇歳定年制は、遅くとも平成三年一二月四日には労使慣行になっていたというべきである(被控訴人は、原審において、本件雇用契約を締結する際に定年が七〇歳であることをB山病院院長の伊賀六一に確認した旨供述し、乙第五二号証、第六九号証、第七四号証にも同旨の記載がある。しかし、右供述及び右記載は、既に判示したごく少数の例外を除いて六〇歳で定年退職していたこと、定年退職に伴う事務処理等に照らし採用しない。)。
そうすると、B山病院就業規則で六〇歳定年を定めることは就業規則の不利益変更に当たらず、被控訴人にも適用される。
六 以上述べたとおり、その余の点について判断するまでもなく、被控訴人は、B山病院総務部長としても、東京都済生会参事としても六〇歳に達した平成九年二月一一日に控訴人を定年退職したのであるから、控訴人の本訴請求は理由があるが、被控訴人の反訴請求は、当審で拡張した分を含めて理由がない。したがって、これと結論を異にする原判決は取消を免れない(控訴人の本訴は、不適法であるとして原判決で却下されたが、これについて更に弁論をする必要はないので、差し戻さないこととする。)。
七 民事訴訟法二六〇条二項の申立について
控訴人が被控訴人に対し、原判決の仮執行宣言に基づいて四〇〇七万五三八六円を支払ったことは当事者間に争いがない。
被控訴人は、平成九年二月一一日以降も被控訴人は従前と同じ労務の提供をしているから、その対価として控訴人が返還を求める金額と同額の賃金請求権を有するから、控訴人が主張する金員の返還請求権と対当額で相殺する旨主張するが、平成九年二月一一日をもって本件雇用契約は終了しているから、右同日以降賃金請求権が発生する余地はない。なお、付言するに、被控訴人の陳述書である乙第三九号証には、平成九年二月一一日以降ほとんど仕事をしていない旨の記載があり、同じく被控訴人の陳述書である乙第五二号証、第七六号証には、B山病院に来院した患者等の道案内やB山病院の職員の相談にのっているとの記載があるが、これらからも明らかなように、被控訴人は、平成九年二月一一日以降、B山病院に出勤した際に行っていることは全く事実上のものというほかなく、控訴人の業務を行っていたということはできないから、不当利得返還請求権も発生しない。したがって、いずれにしても、被控訴人の主張は失当である。
よって、右金員の返還を求める控訴人の申立は理由がある。
八 以上の次第であるから、本件控訴に基づき、原判決を取り消して控訴人の本訴請求を認容し、被控訴人の反訴請求(当審における拡張分を含み、原判決で却下された訴えに係る部分を除く。)を棄却し、控訴人の民事訴訟法二六〇条二項の申立に基づき、被控訴人に四〇〇七万五三八六円の支払を命じることとし、仮執行の宣言について民事訴訟法三一〇条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 北山元章 裁判官 青栁馨 北澤晶)
<以下省略>